民俗学

釧路湿原を歩く

 著者は読売新聞社の記者。釧路支社にいた時の釧路の大自然やそこに住む人たちの営みを綴った本。
 新聞記者の目はさすがに鋭い。いろんな角度からの目線を持っている。色々な角度からの取材がなせる技でしょう。
 始まりは1979年。釧路湿原がまだ国立公園になる前からの話です。
 第一章 冬への序章
 第二章 氷と雪の季節
 第三章 季節の移ろい
 第四章 原野の祭
 第五章 タンチョウの家
 
題名 釧路湿原(くしろしつげん)を歩く
   (福音館日曜日文庫)
著者 近藤泰年
出版社 福音館書店
発行日 1988年2月29日 初版発行
値段 1,600円

おこぜの空耳


 
 埼玉県の奥秩父の伝承的民俗学?
 それほど古くはない昔語り。本当にあった事かどうかは判らない。ただ、話す者たちにとっては実際に起こった事なのでしょう。秩父の山の恐ろしさを語る話が6話。
 第一話 天狗の腰かけ松の怪
 第二話 オコジョの祟り
 第三話 山の神の遊び場
 第四話 山吹沢の怪魚
 第五話 浜平風聞
 第六話 おこぜの空耳
 
題名 おこぜの空耳(そらみみ)
著者 遠藤ケイ
出版社 かや書房
発行日 1991年10月28日 初版第1刷発行
値段 1,800円(本体 1,748円)

自然暦

 「自然暦」とは、『暦の上では』ではなく体感的な暦の事です。日本は縦に長く、季節の進み具合もかなり違います。その土地土地によって体感的な暦は違うものです。それらを一同に集めたものです。
 
 例えば
『トットが来たさ粟を蒔け、カッコウの来たさ豆を蒔け。』(陸中早池峰地方・トットはツツドリらしい。豆は大豆らしい)
 このように、○○が何々だから何々せよ、とか。○○が何々だから××だ。というものが多いようです。それも○○は見た目の自然現象が多く、その下は農業のその時期のすべき事や、漁業の旬物の獲れ時などが多いようです。暦と生活が直結しているという事です。
 
 こんなのもありました。
・・・松茸の多い年は米が不作
 まったく、昨年(2010年)がその通りでしたね。
 
 ただ、意味の判らなくなってしまったものも多いようです。
 

 
題名 自然暦
 (生活の古典双書4)装丁(箱入り)
著者 川口 孫治郎
出版社 ㈱八坂書房
発行日 昭和47年3月30日 初版第1刷発行
      昭和54年6月30日 初版第2刷発行
値段 1,200円

 
 
以下雑文。
中に古今和歌集の一首が出ていましたので。
 
「春来ぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ」
      — 壬生忠岑 みぶのただみね —
 
「早春賦(そうしゅんふ)」の歌詞
春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず
 
上の歌を下敷きにしたわけではないでしょうが、こういう感覚(名ばかりの立春など)は日本人好みというか、逆も真なりで名より実というか、どちらも日本人の身に沁みたものなのでしょうね。